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2017年3月21日 (火)

私は超望遠撮影が大の苦手だ

こんなサイト開いておきながらhttp://masupi.com

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「何を白々しい!」とお叱りはごもっともですが、私は超望遠撮影が超苦手である(と自分では思っている)。本当に、使わなくて済むなら超望遠なんか極力使いたくない!300ミリ程度のレンズで済むならそれで済ませたい!「第29回丘珠航空ページェント」(2016年7月24日参照)と「千歳航空祭」(同8月7日参照)でもそれらしき事書いていますね。

米袋より重たい大砲みたいなレンズを細腕で振り回し、紙のように薄いピントを合わせるために近眼の目を酷使してファンダーを凝視し、わずか数ミリズレただけでピンボケになるシビアなフォーカシングに指先に全神経を注ぐ。うわ~!書いているだけでどっと疲れる。

超望遠撮影は格闘技です。野生動物が相手の真剣勝負。まあ、お互い死ぬことは無い真剣勝負なのでまだ良いですが、いつ起きるかわからないシャッターチャンスを待つため何時間も寒風の中直立不動で待つのはむしろ肉体労働で身体動かすより体力も精神力も消耗します。まあ、集中力はもって2時間ですね。野球中継の間中カメラ操作し続ける報道カメラマンの忍耐力&体力には恐れ入ります。私には無理だ...

現代のオートフォーカス化、テレフォト化、ズームレンズ化され、十分小型化された長タマですらこんな有様ですから、マニュアルフォーカスは当然として、手動絞り、全体繰り出し式の長焦点望遠で動物写真や飛行機写真やスポーツ写真を撮っていた先人の根性には恐れ入ります。

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↑テリート800ミリF6.3(1973年発売)。ネコ写真家の岩合光昭氏が持っていると聞いたことがある。これなんか、先端に3枚張り合わせのレンズエレメントが1個あるだけで後ろの鏡胴は全部空洞なんですよ!長さ=焦点距離という(w)。

先週、釧路行った時に、今時ニコンF2フォトミックを持ってきたオジサマ(年齢は60歳位?)が妙に長いレンズ振り回していたんですよ。「これ!フォーカシングユニットAU-1(1975年発売)ですか?」と聞いたらオジサマ「くわしいねえ!よく知っているね!」と聞かれたほうも驚かれた様子。

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画像は400ミリF5.6ですがオジサマのAU-1にはニッコール800ミリF8が装着されていました(この巨大さで明るさF8か...)

こちらがフォーカシングユニットを装着したニッコール800ミリF8です。AU-1(自動絞り)になる前の手動絞りの初代フォーカシングユニットですが(引用:ニッコール千夜一夜物語)。http://www.nikkor.com/ja/history/03.html

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ヘリコイドは共通で前群のレンズ光学系だけ取り替えることで400ミリF4.5、600ミリF5.6、800ミリF8、1200ミリF11の4種類が選択できました。が、実際には「面倒くさい」という事でレンズ1個につきフォーカシングユニット1本をつけっぱなしにして使う方が多かったと聞きます。口径が同じなので焦点距離に正比例してF値が大きくなります(テレコンバーターみたいだ)。
まだ、EDガラスどころかIF(インナーフォーカス)すら無かった時代ですからこの巨大なヘリコイドを全体繰り出しでフォーカシングします。とてもピントリングを握ってフォーカシングなんてできませんので画像右上にあるようにねじ込みで取り外しできるハンドルがついています(件のオジサマも使っていました)。

IFとAFで超望遠撮影も少しは楽になりましたが、1970年台以前の超望遠撮影は苦行そのものでした。今ほど大口径の超望遠も無かったし、仮にあっても、開放ではとても使えた画質ではなく2-3絞り絞ってようやく使い物になる水準でした。色収差を殺すために赤フィルター(R1)を装着して単色で撮影すると言う荒ワザを聞いた事がある。(参考資料http://www.bird-photo.co.jp/1_photo_2014.htmlのシロフクロウの項参照。おお、この方コムラーテレモアズーム2x-3x使っている!↓)

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確かにそうすれば単色なので色収差は無くなるが、モノクロでないと使えないし、ただでさえ暗いレンズが更に暗くなる(w)。林田恒夫師匠はEDレンズが無かった時代、カラー写真はレフレックス1000ミリF11を使ったとご本人から直接聞いたことがある。当時は超望遠でカラー撮影をするには色収差が無視できる反射望遠しか無かった。

そのせいか、往年の名レンズとよばれるレンズは広角から標準、中望遠が主流で、望遠や超望遠のオールドレンズで名タマとよばれるレンズはあまり聞いたことが無い。少なくとも、私、テレテッサー500ミリF8やテリート400ミリF5とかノボフレックスシリーズを「名玉」と賞賛する人、聞いたことが無い(w)。

そう、これは当サイトhttp://masupi.com/phase15.htm

でも書いていますが、EDガラスや蛍石が実用化になる前は超望遠レンズは画質が悪いのを百も承知で「我慢で使うレンズ」だったからですね。私が生まれるはるか前の先人、岩松建夫氏や林田恒夫氏の残した古いタンチョウ写真集を見ると、標準レンズで撮影したであろうヒナの写真は今のレンズと比べても遜色の無い画質なのに超望遠で撮影された写真は、今ではありえないほど画質が悪いんですよ。タンチョウは黒い顔にお目々があるので解像度が悪いレンズで撮影すると、まず殆ど眼球が結像していない。

このAU-1の前身のフォーカシングユニットは1964年の東京オリンピックの映像記録で見たことがあるのですが、私が生まれた頃の大事件、「あさま山荘事件」(1972年)で大活躍したそうです。http://nikonfan.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/nikonf-0893.html

デジタルの今でこそISO3200だの6400などいとも簡単に実現できてしまいますが、1972年当時、カラーフィルムの最高感度はハイスピードエクタクロームのISO160(確かアポロ計画で月面の写真を撮ったのもこのフィルム)。とてもカラーフィルムで超望遠撮影などは不可能でした。あさま山荘ではF8とかF11の超暗い超望遠レンズを必死で目を凝らしてピント合わせし、トライXを4倍(ISO1600)増感してやっと撮影したとの事。

4倍増感。懐かしいな。私が高校に入学した頃はよくやりました。ネオパン400プレストやトライXの4倍増感。私が高校2年生の年にネオパン1600スーパープレストとコダックT-MAX3200がやっと発売されて増感の苦労から開放されたのをよく覚えています。

今思えば、マニュアルフォーカスからオートフォーカスへ、、ISO400フィルムの4倍増感から超高感度フィルムへと世代交代する一番良かった時代に写真を覚えた自分は幸運だったと思います。5年生まれるのが遅かったら、2号紙、3号紙、4号紙とか増感現像なんて概念を覚えることなく社会人になってしまったでしょうしね。

今のように手のひらに乗ってしまうようなコンパクトデジカメでフィルムカメラ時代の2000ミリに相当するような超望遠撮影がいとも簡単にできて(具体例http://www.nikon-image.com/products/compact/lineup/b700/)↓

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、撮影枚数は無尽蔵という時代に生まれた現代の子供たちはオッサンの私には超うらやましい一方、便利すぎて、苦労して覚えたスキルが今や覚える必要も無くなり、いざ、デジタル暗室に挑戦しようとしたらガンマ調節とかコントラスト調節という概念を理解するときに苦労するんじゃないかとも思います。今時の若い子で、絞りのF値とシャッター速度とISO感度の因果関係をわかって写真撮っている人ってどれほどいるんでしょうか?

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