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2017年5月30日 (火)

ペンタックスのマウント変更計画を今ひも解く

あんまりつまらん文章ばかり書いているとお客様に逃げられるので今回は久しぶりにマジに資料を集めてペンタックスの一眼レフがなぜマウント変更が遅れたのか、当時の技術者たちの回想をまとめて読んで行きたいと思います。

事の発端は、フトンの押入れの底から懐かしい本が出てきたこと。

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おぉ~!懐かしい。今は亡き「カメラこだわり読本2000-2001年版」(毎日新聞社刊)の21世紀最初の本(20世紀最後の本?)ですよ!これ、古書じゃなく、新刊の時にわたし、リアルタイムで買いました。「カメラ毎日」復刊したかったんだろうなぁ、毎日新聞社(カメラ毎日は1985年休刊)。うちのホムペをつくるきっかけにもなった本です。この本の中から直接引用したネタは無いけど、「これだけ資料が揃えば、そろそろ自分が書きたいWebサイト、書けるんじゃないかな?」という自信を与えてくれた本です。2000年と言えばいわゆる「IT革命」の年ですが、まだまだインターネットのサイト数は少ない上内容もお粗末で、「まだまだ調べ物に使えるレベルじゃない。でも逆を言えば、早いもん勝ちで、誰も書いていないテーマを一番乗りで書くチャンスだ!!」という「今じゃないとできないから急いで執筆しないと!」という気概もありました。
内容はこんなの。

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はい、この年の新製品コニカヘキサーRFと元祖のミノルタCLEの比較記事。こんな記事書きそうな人は、すぐ思いつきますよね。はい、中村ふ~みん文夫氏です。私、ファンです。というか、この方の論調が私のサイトの文章には大いに影響を受けました。

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この前の私みたいなこと書いているのはリコーの織間勇氏。交換レンズとレンズ固定カメラの描写性能に差はあるか!。はい、先週の書き込みしていてこの本の事思い出して探したら出てきたんです。

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これも当時の新製品。SHARAN。これはかなり話題になりました。このボディのまま現代の技術でデジカメの機能をライカさんみたく各社で内蔵してくれたら売れると思うんですけどねぇ?

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ロシアンレンズのテストレポート。この記事読んで私もルビナー500ミリF5.6買いました。銀塩時代末期だけあって、この頃の私は買い物しまくっていたなぁ(若かった...)。

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で、ふと目に留まった記事。名著「名機を追って」の那和秀峰氏の記事「試作機に見る国産カメラの発達史」

’68年全国産カメラ白書(2016年12月11日参照)でもちらっと書いたペンタックスのバヨネットマウントを採用した絞り優先AE一眼レフ「ペンタックスメタリカ」と同時に試作された「ペンタックスメモリカ」です。メタリカは大学生の頃から知っていましたがメモリカは当時のペンタックスギャラリーのパンフで名前だけ存在を聞いたことがあっただけで写真ではこの本で初めて見たのですごく嬉しかった記憶があります。

せっかく良い資料が揃っているんで、ペンタックスのマウント変更の歴史を調べてみましょう!!

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「カメラレビュークラシックカメラ専科73」(2004年9月)にて、ペンタックスがAP型からプラクチカマウト(いわゆるM42スクリュー)を採用したときのエピソードが面白い。

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執筆者は’68年全国産カメラ白書の座談会でもオリンパスの米谷美久氏たちと激論を繰り広げておられる鈴木實氏。

初代アサヒフレックスから始まった37ミリスクリューマウントでは口径が小さすぎて明るいレンズの設計が無理だからマウントの口径を大きくしてくれと要望があり、輸出の事を考えれば海外の先行メーカーのマウントを拝借するのが良いとの判断で大胆にも鈴木氏自らドイツ語で東独プラクチカに手紙を送って「貴社のマウントを採用したいので規格を教えてくれ」と頼んだら「使うのは自由だがマウントの資料は一切出せないので、そちらで勝手に測定するなり何なりしてくれ」と実にアバウトな返答が帰ってきたので実際にそうしたとか。

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↑参考資料)コンタックスS(1949年)

まあ共産主義国家では「特許」という概念が認められてないからパクリもパクられも好き勝手という事だったんでしょうか(w)。

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↑有名なフォトキナ’60の試作機ペンタックススポットマチック。ふ~ん、ファインダーのオタマジャクシ(測光バー)はこういうふうに見えたんだ。ファインダーの映像もこの本で初めて見ました(聞いたことはある)。

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↑そして、やっと出てきたペンタックスメタリカとメモリカ。

スペックの違いはメタリカ(左)は名前の通り縦走りメタルフォーカルプレーンで絞り優先AE。右のメモリカは横走り布幕でシャッター速度優先AE!おおっ!!ペンタックススーパーA(1983年)の17年も前にペンタックスは一眼レフのTTLシャッター優先AEを検討していた!!

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↑参考資料)ペンタックススーパーA(1983年)

これは元祖のコニカFTAよりも2年も早い!!しかし、この試作機を見ると疑問に思うのは1975年に遅ればせのバヨネットマウント「Kマウント」を採用したときに何でシャッター優先AE(とプログラム)が無かったということ。最初のKマウントでは絞り優先AEのみで前述のスーパーAがそれを導入するのは8年も後で、しかもマウントに電子接点を追加すると言う後処理が必要でした。

鈴木氏もこれは記事内で「このとき、無理してでもマウント変更すべきでした」と正直に認めてます。ただ、全ての交換レンズまで含めてマウント変更すると当時のお金で50億円くらいの費用が掛かると言うことで、経営陣からストップがかかったそうな。

その後の史実を知る私としては、ペンタックスは1971年のペンタックスES発売時にバヨネットマウントにすべきだった。と今なお残念に思います。結局スクリューマウントのまま無理に開放測光にしても4年間しか時間稼ぎできなかったわけだし(詳しくはココ参照:http://dc.watch.impress.co.jp/docs/review/lensmount/550298.html)、1975年のマウント変更では「何を今更」というユーザーの反発でシェアががた落ちして(詳細はココ:http://dc.watch.impress.co.jp/docs/review/lensmount/565460.html)、その後、今に至るまでシェアは奪還できずにいます。歴史が証明していますが、マウント変更により旧マウントでは不可能だった新機能が実現すればユーザーは納得します。古くはライカMマウント(1954年変更)があるし、近年のミノルタαマウント(1984年)、キヤノンEFマウント(1987年)、マイクロフォーサーズ(2010年)など、むしろマウント変更したことでシェアを取り戻した成功例の方が多かった。

ペンタックスはESなんか発売するよりもメタリカとメモリカのコンビでバヨネットマウントで発売すべきだったと、今でも思いますね。

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