1978年の宇宙本、第2報
私の宇宙SF元年。1978年に続く宇宙本の第2報です。
「全記録宇宙開発ー限りなき人類の夢と希望/米ソ・世界の宇宙開発」(国際情報社)
米ソ宇宙開発が内容の根幹にありますが、実際には私の宇宙SF元年。1978年でも書いた「船の科学館」の「宇宙博覧会」のタイアップ本です。この国際情報社はこういう「博覧会本」を良く出版していたようで、驚くほどデザインが似ている1970年の大阪万博本とか1975年の沖縄海洋博本もネットで調べたらゴロゴロ出てきますね。
実際最初に見開きページに宇宙博の会場が出てくる。
うわぁ~!40年前はまだ空き地だらけだったんですねぇ~有明!現在の過密ぶりが信じられないほどのどかです。
著者はやっぱり航空評論家でドイツカメラコレクターの佐貫亦男氏。日本人でアポロ計画を語らせたらこの方の右に出る人はいません(参照↓)
ついでに言うと朝日新聞社科学部長の某氏は銀座のママを糸川英夫先生と奪い合う恋敵で、糸川先生を失脚させるべく執拗な「反糸川キャンペーン」を朝日新聞上で繰り広げて糸川先生を辞任に追い詰めた人物です。的川先生と野尻抱介先生(私のことをネタにしてくださりありがとうございますw)が言うんだから間違いないでしょう。それを知ってか佐貫先生も作中で糸川先生に関する記述はかなり遠慮しています(w)。
(いやぁ、百科辞典と文学全集は本当にどこの古本屋さんも引き取ってくれませんわ・・・)
佐貫氏は小学生の頃からファンです。陸軍の97式戦闘機のプロペラを設計された方です。
この本、なぜか通っていた小学校の図書室に2冊も置いてあった。さすが自分が設計に携わっただけに97式戦闘機を一番上に描いています(w)。
この欧米の格闘戦を極力避ける「一撃離脱戦法」に共鳴を受けた後述の糸川技師は低翼面加重ゆえ急降下に弱い1式戦闘機「隼」の弱点を見抜き、高翼面加重の機体を大口径高出力のエンジンで引っ張る欧米流の2式単座戦闘機「鍾馗」を設計しています。
アポロ・ソユーズ共同計画やスカイラブ計画で使用されたサターン1Bロケット(左)と日本の当時の最新型ロケットN1(右)。実は私、小学1年生の時に両親に連れられて実際にここに来ています。「こんなでっかいロケットを10年も昔に作った国と戦争して勝てる訳ないじゃん!」と幼少期ながら強烈に日米の国力の差を痛感しました。
当時の日本は、国産初の液体燃料ロケット(といっても米国製デルタロケットのライセンス生産だが)「N1ロケット」がようやく日本初の静止衛星「きく2号」を打ち上げたところでした。サターン1Bを見た後では、ただただ小さい。得意満面なコンパニオンのお姉さんの笑顔がなんとも...ウィキペディアのN1ロケットの項https://ja.wikipedia.org/wiki/N-I%E3%83%AD%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%88でも写真は載っていないので、貴重な映像資料ですよ!これは。
なおこのロケットは会期終了後、大阪のなんばCITYに寄贈されて2007年までは現存していました(詳細↓)。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AA%E3%82%93%E3%81%B0CITY
むしろ、日本独自分野として気を吐いたのは固体燃料ロケットの分野です。8年後、日本は固体燃料ロケットで惑星探査機(すいせい、さきがけ)を打ち上げるという前人未到の快挙を成し遂げます。これは1970年に日本初(世界的にもソ連、米国、フランスにつぎ4番目)の人工衛星おおすみを打ち上げたラムダ4S-5ロケット。こちらは会期終了後は上野の国立科学博物館に寄贈され、今も屋外に展示されています。20年後に久々に再会しました。
今や伝説となった東大宇宙研の糸川博士のペンシルロケット(左ページ)。日本のロケット開発はここから始まった!今となっては私はその偉業を理解していますが(参照↓映像の中にも国立科学博物館前のラムダロケットが登場します)
https://www.youtube.com/watch?v=97rASB8rNgY
、小学1年生の目には、ただただ惨めで情けなかったのを覚えています。「夏休みの工作か?」みたいな(w)。13年前にJAXA主導で行われたペンシルロケット再現実験の映像https://www.youtube.com/watch?v=idiETYNK8co 12歳の春名美咲ちゃんがかわいい・・・じゃなくて、かなり本格的で、幼少期の自分の偏見が恥かしいです。このペンシルロケットに使われた燃料は米国軍のバズーカ砲用に製造されたダブルベース火薬で当時1本5千円したそうです。今の物価では10万円くらいになるのかな。一発発射するだけでも大出費な訳で決して子供の玩具じゃないです(この本の中で佐貫氏は糸川先生がタダで火薬メーカーから貰ってきたみたいなこと書いてますが、本当かな?)。
この当時は自前の気象衛星すら自国で打ち上げられなくて(N1ロケットの推力では足りなかった)気象衛星ひまわり1号はNASAに打ち上げてもらっていました(左ページ上から2番目の写真がひまわり打ち上げの映像)。子供心に「自分の国の衛星すら自国で打ち上げられないなんて」と情けなかったです。当時の宇宙開発事業団NASDA(今のJAXA)も同じ思いだったようで、ひまわり2号以降は国産ロケットで打ち上げています。ちなみに「ひまわり」以前は米国の気象衛星NOAAの映像をお金を払って買っていました。現在では「ひまわり8号」の映像をロシア、モンゴル、ASEAN諸国からオーストラリアまでが利用しています(参照↓)
http://www.jma-net.go.jp/sat/himawari/nmhs.html
。「ひまわり8号」のライブ映像が見たい方はぜひここを参照↓。
当時小学1年生だったんですが、けっこう鮮明に展示品覚えているんですよね~。あ~、あったあった!こんな展示。当時の雰囲気がビンビンと記憶に蘇ってきます。
一番凄かったのがこの「アポロ館」の展示。なんと実物大の月着陸船がワイヤーに吊るされ天井から降りてくるんですよ!中にいた宇宙飛行士役の役者さん、怖かっただろうなぁ。
これも鮮明に覚えていますねぇ。
この本にもやっぱり出てきたスペースコロニー。翌年のガンダムに繋がっていきます。
当時、ソ連というと「秘密主義で大事なことを何も教えてくれず、影でいつも悪巧みしている国」「放って置くとなにをやらかすかわからない国」「ものすごく先進技術を持っているけど、それをロクな事に使わないマッドサイエンティストが大勢入る国」っていうイメージでした(ここでも同じこと言ってます↓)。
https://www.youtube.com/watch?v=3YYLZNqOEPI
アポロ・ソユーズ計画以降、その秘密主義も少しは改善したようで、当時の最新映像とかも乗っています。これはソ連の宇宙ステーション「サリュート」小学生時代は科学雑誌に乗っていたサリュートの最新情報にドキドキしたものです。1986年のハレー彗星共同探査は、米ソESA日本の垣根を越えた国際共同探査のブレイクスルーになったと思います。
結構今見ても貴重な映像資料だと思うのでこの本は大切に取っておきます。保存状態も良いので売ったら結構良い値段つくと思いますが。
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僕も行きましたよ宇宙博(当時小学3年生)!とても懐かしいです。
でも僕が覚えているのは横倒しのサターンだけ。そのデカさの記憶があったので上野の博物館で見たペンシルロケットのショボさ(失礼)には余計にがっかりしましたね。
もしかしたら、家族連れで行ったので誰かがもう帰ろうとか言って屋内展示を見なかったのかも(結構混んでいた記憶があります)
本題には関係ないですが、船の科学館の駐車場は90年代くらいまでダイハツの新車発表会の会場としてよく使われていたようです。
当時のクルマ雑誌の記事には「ダイハツ○○の発表会が砂埃が舞ういつもの駐車場で行われ…」と嫌味を書かれていたものです
投稿: kazzuo | 2018年7月10日 (火) 23時22分
遅ればせながらレスありがとうございます。私は、北海道くんだりから上京したからにはなにがなんでも全部見てモトを取らねばならないと、猛暑の中うんざりしながら長蛇の列に並んで全てのパビリオンを見たはずです。でも残念ながらアメリカ館のスペースコロニーだけは覚えていないんです。黄色いスペースシャトルの1/2縮尺モデルは鮮明に覚えているので間違いなく中に入ったはずなんですが。ちなみに、この宇宙博の翌年に、アメリカのノーフォーク軍港から日本の2式大艇が返還されるんですよね。
投稿: 管理人 | 2018年7月18日 (水) 21時00分