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2018年7月 7日 (土)

心のふるさとEXPO'70

実家の父の遺品の整理で3冊も出てきた大阪万博本。この時期に働き盛りだった世代が今のお年寄りですのでうちの職場に寄贈したら大ウケです。

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今は亡き「北海タイムス」刊ですよ!

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ちなみに裏表紙の広告はペンタックスSP/SL。何気に、今や中古で垂涎の珍品タクマー24ミリF3.5が着いています。1970年当時としてはレトロフォーカス構成の一眼レフ用広角レンズとしては未曾有の「超広角レンズ」でした。当時、これより広角は魚眼のタクマー17ミリしかなかったと思う。

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ついでに表紙写真は当時の新製品ペンタックス67とタクマー55ミリで撮影とあります。

そうこうしていると、本日ファミマで同じようなコンセプトのマンガが並んでいたので感動して購入!万博本は近々ご紹介するとして、今回は右側のコンビニ本を紹介します。

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1978年の宇宙本、第2報で紹介した日本初の人工衛星おおすみの打ち上げエピソード。JAXAの小惑星探査機はやぶさ2号が小惑星リュウグウに到着したニュースもあり、最近日本の宇宙開発史にハマっています。

ここの動画でも紹介されていますが↓

https://www.youtube.com/watch?v=97rASB8rNgY

東大宇宙研(ISAS)の糸川先生が鹿児島県内之浦にロケット基地を造るのを決めたとき、ろくに道路も電気も通ってない寒村にそんな大それたモノを作れるわけないと町長が固辞したのを、地元の婦人会がもろ手を挙げて誘致に協力し、建設会社が断った道路建設に地元住民が協力したとあります。なぜそこまで地元住民、特に女性たちが宇宙ロケットにハマったかというと、このマンガで説明されておりますね。

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そう、宇宙基地が来ると、今まで電気が通っていなかった寒村の内之浦に、電気や舗装道路が通るようになる。基地の職員を相手に民宿や商店もできる。アニメ「超時空要塞マクロス」でマクロス墜落後の南アタリア島にあっというまに町ができたのに似てますね。いつの時代も女性は逞しい!

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4回連続で打ち上げ失敗。当時マスコミでそうとう叩かれていたようです。当時のアサヒカメラでも特集組んでいました。アサヒカメラさんは理解の目で書いていましたが。

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↑この技術者さんは的川泰宣博士じゃないだろうか(↓参照)?

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%84%E5%B7%9D%E6%B3%B0%E5%AE%A3

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打ち上げ成功を祈願して婦人会が千羽鶴を送ったエピソードは上述の動画でも紹介されていますね。今や世界に冠たる宇宙開発大国日本の第1歩は1970年から始まった。

ISASの科学者・技術者と内之浦の住民との交流はこちらに詳しい(↓参照)。

http://www.isas.jaxa.jp/j/japan_s_history/chapter02/index.shtml

現在、施設の老朽化もあり、打ち上げ基地を旧宇宙開発事業団(NASDA)の種子島に一本化しようという案が出たとき、内之浦では住民が「残してくれ!」と懇願したそうです。今や内之浦は鹿児島県民の誇りなんですね(↓参照)。

http://space-kimotsuki.jp/articles/love01/

これだけ地元民に愛されている宇宙基地というのも、そうそう無いと思います。

ちなみに、糸川博士のカッパーロケットはあくまでも観測用ロケットとしてインドネシアとユーゴスラビアに輸出されましたが、案の定ミサイルに転用されアメリカの激怒を買い、糸川先生は東大を辞職するハメになります。なんてことしてくれたんだ、インドネシアとユーゴ!(↓詳細)。

https://tech.nikkeibp.co.jp/it/atcl/column/16/051100109/051800004/

ただ、2018年現在インドネシアが初の人工衛星打ち上げ用に開発しているRPSー420は個体燃料ロケット+重力ターン方式の姿勢制御と50年前に糸川先生率いるISASが打ち上げたラムダロケットの技術そのものなのは嬉しかったりする。

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コメント

行ってないけど、月の石が大評判でしたね。
万博音頭が頭から離れなかった笑

「世界の国からこんにちわ」でしたね。
三波春夫さんだけじゃなく山本リンダさんもカバーしていたと思います。万博ネタはこれ1回だけじゃ全然紹介しきれないので今後もボチボチ小出しにしていきますね
月の石は私は1978年に「船の科学館」で開催された「宇宙博」で見ています。

大阪万博、高校の修学旅行で行ったような、、、。
全然覚えてません^^;;
記念硬貨が何処かに仕舞ってあるはずだわ。
またいろいろ紹介してくださいなぁ^^

ありがとうございます。
実は私はまだ生まれていませんが、姉が生まれた年です。幼少期、実家には万博グッズがたくさんありました。記念硬貨とか。きっと父も行きたかったんだと思います。だからこそ万博の8年後の「宇宙博」は貯金叩いて家族で連れて行ってくれたんでしょう。
はい、私も実は「万博マニア」です。あかね書房の「20世紀の記録・私たちの万国博」は中学生の頃熟読しましたし、大半のパビリオンは写真見ただけで今も名前を言い当てられます。今後も少しずつネタ出ししていきますね。ちなみに私の高校の修学旅行は「奈良シルクロード博覧会」でした。私もご他聞に漏れず、ほとんど展示品を覚えていません(核爆)。それなのに小学1年生の時に連れて行ってもらった「宇宙博」の展示のほとんどを今なお鮮明に覚えてるのは、やっぱり興味のベクトルが違うからでしょう(w)。いや、今の私だったら歴史ドラマにも興味があるので社会人になってから「奈良シルクロード博」行ったらずっと楽しめたと思います。

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