ロケットざんまい
ケアマネ講習修了し、休暇も取れてやっと上京中の思い出を報告します。とにかく今回は「ロケットづくし!」の旅でした。
いよいよ機上の人!
朝8時40分の飛行機なのでのんびり食事する余裕もない。
お盆でどこのホテルも満席orぼったくりでCAPAドクスペの投稿仲間だった旧友が「うちに泊まらない?」とオファーが来て東京から遠く離れたつくばまで足を延ばしました。ここはつくばEXPのほぼ終点に近い守谷駅。
なんか1970年の大阪万博の天傘みたい(もちろん同じ工法なんだろう)。
初日にいきなり招待されたのがJAXAのつくば宇宙センター。残念ながら祝日なので休み。それでも本物のH2ロケットを見られて大興奮です!
でもでも!私には次の目標があった!
上野の国立科学博物館!子供の頃恐竜図鑑で「こんな立派な博物館にいつでも通える東京の子供が羨ましい!」と羨望しました。実際に初めて行ったのは社会人になってからです。
また会えたね!1970年に日本初の人工衛星おおすみを打ち上げたラムダ4Sロケット。小学1年生の時に有明の「船の科学館」で開催された「宇宙博」でこれ見てます。
証拠!銘板に「世界は一家!人類は兄弟!」のおじいちゃんの名前が。
館内に入るとそのおおすみの模型が。
隣には上述のH2ロケット2段目のLE-5エンジン。国産初の100%純国産液体燃料ロケットエンジンです。
日本の宇宙開発はここから始まった!糸川英夫先生のペンシルロケット。
これも1978年の「宇宙博」で見ました。子供心に実物のアポロ宇宙船やサターン1Bロケットを見た後でこの落差にがっかりした覚えがあります。父も「こんなでかいロケット作る国に戦争で勝てる訳ないわな」と言っていたので同じ心境だったんでしょう。いや、それでも40年前から比べたら日本のロケットはがんばりましたよ。
糸川先生がペンシルの次に作ったベビーロケット。これ、「人間爆弾桜花」の固体燃料そのものが使われているんですよね。
松本零士先生の「音速雷撃隊」。本人は「執筆したことを後悔している」と語っていましたが屈指の名作です。松本零士先生は桜花を設計した三木忠直氏が戦後0系新幹線を設計したことも糸川英夫先生のベビーロケットの心臓部に桜花の固体燃料が使われていた事も知っていたでしょう。知らないはずがない。
ヨーロッパ戦線を舞台にした「エルベの蛍」や「わが青春のアルカディア」でも「ロケットは宇宙へ行くために使うべきだ」と力説していましたよね。
メッサーシュミットMe163も元々高速実験機として作ったものでメッサーシュミット博士も航続距離が短すぎて戦闘機としては使えないと反対していた。
だからこそ私は宇宙産業にO百万円も投資している。投資額の割にはさしてリターンは無いけど少なくとも損はしていない。
↑インベスターZより。全くその通りだと思います。
〆は茨城県ヒロサワシティの「ユメノバ」
ラムダ3ロケットと
ラムダ2ロケットです。
「ユメノバ」については後日また詳しくご紹介しますね。
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