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スポーツ

2023年8月14日 (月)

小樽でも熱帯夜

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連日職場は湿度100%。汗が乾かずぼたぼた雫となって落ちます。どこが水蒸気の発生源になっているんだろう?浴室か?厨房か?

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食中毒警報が出る中でご飯炊いてお弁当作るの怖いので最近は夜勤のお弁当は全部これです。ベーコンチーズトースト、冷たい牛乳。クノールカップスープ。これはこれで結構美味しい。オーブントースターや電気ポットがある職場で良かった。

この肌にまとわりつく湿度が徐々に体力をむしばんでいきます。招待して下さった皆さんには期待を裏切って申し訳ありませんが「夏コミ」キャンセルして良かった。昨年購入したスポットクーラー、夜勤明けの昼寝に大活躍です。30度の外気温で窓を閉め切ってクーラーをガンガン効かせて汗一つかかずにお昼寝できるという北海道民には最高の贅沢を甘受しています。日勤オンリーだった前の職場だから冷房無くてもアイスノン抱いて何とか睡眠確保できたが、半分が夜勤当直の今の職場では冷房無いと死にますマジで!あ、「冬コミ」は間違いなくエントリーしました!ご安心を!

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夜勤当直中の午前2時に、おばあちゃんが一人で車いすに移って部屋から出てきた。「熱くて眠れないの」まあそうでしょう。飲み物出しながら今年の「インディ500」を観戦する。

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今年も火災や犠牲者は出なかったものの派手なクラッシュ続出!

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ひっくり返って火花を散らしているマシン。

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車内カメラより。パイロットも生きた心地しなかったでしょう。

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日本人の感覚からすると不謹慎だがアメリカンレースはインディもナスカーも「クラッシュも見ものの一つ」という所がありますからね。高齋正氏の「ロータリーがインディに吠えるとき」でも「アメリカ人はレースでクラッシュシーンも楽しみの一つだ。でもレーサーが死ぬのを見たいわけじゃない。派手なクラッシュをしてもケガ一つせずマシンから這い出てガッツポーズをとるドライバーを見て不死身のヒーロー像を重ね合わせたいんだ」と。

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アメリカのモータースポーツは「格闘技」でもあるんですね。「ふたり鷹」のパットもそう言っていた。「デイトナ24時間を経験した鷹ならあの程度平気よ」と。

おばあちゃん、牛乳1杯、紅茶2杯の計600ccも飲んで帰って行ったよ。どんだけ喉乾いていたんでしょうね。まあ私も夜勤当直中は牛乳1リッター毎晩飲みます。

2019年11月 9日 (土)

なぜIOCは札幌に固執するのか?

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前回、IOCが来年の東京オリンピックのマラソンと競歩の会場を札幌に変更する点について語りましたが。なぜ札幌?同じオリンピックを開催した実績があって涼しいなら長野でも良いはず。東京から近いし新幹線で一っ飛びなのに、なぜ往復に飛行機が必要な遠い札幌を一発指名したのか?

調べてみると現IOC会長トーマス・バッハさんはたいへん札幌の冬季五輪誘致に積極的だったのかわかりました。

2020年の東京オリンピックに2025年の大阪万博と来れば「次は札幌冬季オリンピックでしょう!」となるのは当然の成り行きで、札幌も冬季五輪の誘致を始めますが2018年の平昌、2022年の北京と立て続けにアジアでの開催が決定したために、「3回連続で極東での開催はマズいだろ?」と札幌側が躊躇した際、バッハ会長は「夏の大会はアジア開催じゃないし、冬季五輪を開催できる都市はそう多くはないので札幌の誘致は歓迎する」とむしろ応援してくれたそうです。結局去年の北海道大震災がとどめになってなって立候補を断念。この際には例のデンバーとは大違いで、JOCは震災復興に全力を挙げなければいけないので2026年の冬季五輪への立候補は取り下げるとIOCに報告し、バッハ会長は震災に対して遺憾の意を示した上で「次の2030年で再び立候補して欲しい」と熱く期待を語っています(詳細)。で、実際に2026年の冬季五輪に決まったのは「安心優先で」イタリア(参照)。私も2回連続で極東開催なので次は欧州の方が良いと思います。そしての今年の6月には自ら「2030年には立候補してくれますよね?」と札幌にエールを送っている(参照)。つまり、来年の東京オリンピックのマラソンと競歩の会場を札幌に単独指名したのは「冬のオリンピックは絶対に札幌を指名してあげるから立候補してね!」という伏線でしょう。ちなみに去年の冬季大会では例のデンバーも立候補しかけたそうですが、即時却下されたそうです。トーマス・バッハ会長は1976年モントリオールオリンピックの時にフェンシングの選手として参加しています。夏と冬の違いはありますが、デンバーの五輪返上は当時リアルタイムで見てきたし憤慨したでしょうから「ふざんけんな!ゴルァ!」というところでしょうね。そう、IOCを怒らせたら後が怖い、ヒトラーですらIOCには勝てなかったんですから。

画像は近所にある美香保体育館。札幌五輪のフィギュアスケート会場です。私の幼少期は夏はプールとして開放されていたので行ったことがあります。

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さすがに47年の風雨にさらされ、色あせてますが、施設は今も現役です。有名なジャネット・リン選手が尻餅ついたことで有名(この画像の1分54秒あたりを参照)。

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この当時、カラーフィルムの最高感度はハイスピードエクタクロームのASA160。国産ではフジクロームR100のASA100(世界初のASA400カラーフィルム、フジカラーFーII400発売は1978年)。このオリンピックのためにニコンは試作のサンニッパを報道陣に貸し出しています。

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このレンズ、当時は当然インターナルフォーカス(IF)など無く全体繰り出し式(ついで言うと手動絞りだけど、ほとんど開放で使うからそれはさして問題では無かろう)。ものすごくピントリングが重たいので角が生えています(w)。当時このレンズでフィギュアスケートを撮影したカメラマンが腱鞘炎になったという話を聞いた。当時のカメラマンの根性には恐れ入りますな。

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こっちは白黒。この粒子の粗さから見てコダック・トライX(ASA400)か?。それも増感現像していそう..(この当時でもトライXやネオパンSSSはパンドール使えばASA1600程度は増感できた)。そう、モノクロで良いのなら当時でもF4.5程度のレンズで写し止められました。私も明るいレンズを持ってなかった高校時代は散々やりました増感現像(w)。だからネオパン1600スーパープレストが発売されたときは超嬉しかった覚えがある(w)。でも当時、高感度のサチコン管の実用化により屋内競技もカラー放送が可能になり、1971年からTV放送は再放送以外は全てカラーになっており、グラフ誌もどんどんフルカラー化していた時代。美しい銀板の妖精達を、当時の感度の低いカラーフィルムで何とか写し止めて読者たちに披露したかったはずです。この先人たちの努力と苦労があってこそ、ジャネット・リン選手の愛くるしい笑顔が今もカラーで残っています。ニコンさんには感謝です。

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