今まで仕事詰めの人生を送って来た人間が突然無職になると激しい喪失感と虚無感に襲われるという・・

無職期間4か月目に入り私もそれを心底味わってます。唯一の心の安らぎは同人誌執筆。これ描いている間は何とか自分が社会と繋がっていると感じていられる。

別にお金に困ってるわけではない。どんどん貯蓄は減っているのは事実だが日々の生活費には遠く及ばないにしても不就労所得はあるし、

昨日も自宅でパソコンの前に座ったまま200万円ほどトレードしている。もちろん100%現物取引(自腹)で信用取引(借金)は無い(断言!)。

厚生年金が貰える年齢まで働かなくても生きて行けるくらいの蓄えはあるし現在無職生活で蒸発していく生活費はいずれ「傷病手当金」で戻って来るお金だから心配はない。
今の私を「ごく潰し!」「ニート!」と非難する肉親、友人はいない。みな「休めるときにゆっくり休んで!」「自分も椎間板ヘルニア患った時は1年間静養した」と温かい声をかけてくれる。母も「椎間板ヘルニア患った人で手術後全快した人の話って聞いたこと無いんだよね。一生ついて回る病気なんだからもう無理するな」と言ってくれる。このサイトでも「肉体労働者は術後6週間は安静」と書いている。まだ術後4週間経っていない。

おかげで毎日働きもせずこんな生活しているんだけど、果たしてこれで社会復帰できるのか?不安になって来た。
昨日は天気が良かったので、特に用事も無いのに銀行で記帳、本屋で立ち読み(欲しい本は無かったけど、ネットでは自分の興味がある本しか注文しないので自分の興味範囲外の本がこの世にあることを確認するという意味で本屋や図書館は行った方がいい)。体動かさないので大してお腹減らないけど外食をしてきたが、何一つ心が晴れない。

家に帰ると虚しさでまた布団に入るだけの日々・・・

もういいって・・・・
人間ってやっぱり衣食住だけ満たされたら生きて行ける生き物じゃないんだ。社会と繋がりを持たないと「生ける廃人」となる。リハビリの仕事30年してきて、そういう「廃人」を何人も見てきた。

↑こうはなりたくない。

↑けど、こうもなりたくない・・・
こどもの頃手塚治虫さんの「ブッダ」を読んで、「人間は煩悩に振り回されるから苦しんで不幸になる。人生を楽に行きたければ煩悩を捨てる事だ」と繰り返しお釈迦様は説法していたが・・・

「いや、確かに分不相応な煩悩は身を亡ぼすけど、ある程度煩悩に振り回されるのも人生の楽しみじゃないの?」とも思った。ブッダに祇園精舎を寄贈したスダッタ長者やジェータ王子も「ブッダの七光りで自分の名前も後世の歴史に残したい」という自己顕示欲や功名心があったと私は思っているし(手塚治虫さんの漫画でも最初はスダッタ長者は「慈善事業で自分の名前を後世に残したい」と露骨に言わせている)。

働いて稼ぎがあるから高級腕時計を買ったりカメラレンズを買って旅行行ってプロでも無いのに個展を開いて「自分がこの世に生きてきた証」を残したいんじゃないか?


↑「スマホでこんな写真撮れるか?」「どうだ~!俺って写真上手いだろ~~!!」と自慢したいから写真撮るんだろう。
全ての煩悩を捨て去って、最低限生きて行けるだけの食事と睡眠だけとって、ただただ息をしているだけの人生に何の魅力があろうか?
「マズローの分類」というのがある。私が学生の頃心理学で習ったがその当時でも「もう古くて時代にそぐわない」と言われていた。

だってそうでしょう。生活保護がある現代日本。一番下の生理的欲求(3食の食事、トイレ、風呂、暖かい布団)と安全の欲求(雨風遮る鍵のかかる住居)が生まれながらに満たされている。だから親に養われている引きこもりや生活保護受給者が自分の生活費や家賃を吹っ飛ばしていきなり「自己実現」欲求に走る。親に3食食わせて貰い毎月小遣い貰いながら「俺は芸術家になる」「俺は音楽で食っていく」「俺は作家になる!」とか言い出す。さしずめ今なら「俺はユーチューバーになる!」「俺は個人投資家(私ですな)になる!」とか言うんだろう。
私と同い年で中学生の頃から登校拒否のまま卒業して中卒後無職。それでいて母親から小遣い貰って高価なカメラ買って撮影旅行に行き「俺は将来写真で食っていく!」と言っていた奴がいた。当時のCAPA誌の投稿欄によく名前が載っていたのでそれなりのセンスは有ったんだろう。「それにはまず、毎日の食費や家賃を自分で稼いで生計を立てないと!」「まず親に頼るのを辞めて生活費を収める。それでも余るお金があったら初めてカメラやフィルムを買うべきなんじゃないのか?」と当時習ったばかりのマズローの分類そのものを彼に話したが「生活費を稼ぐためにやりたくない仕事をイヤイヤするくらいなら死んだ方がマシだ!俺にとって仕事とはやりがいや生き甲斐を求めるもので、やりがいさえあれば生計なんて立てられなくてもいい!」と満面の笑みで反論された。「あ、あのね?仕事とは生計を立てるためにするの。生計立てられないのはそもそもそれは仕事じゃなくて趣味なんだよ?親が死んだらどうするの?」と言ったらギャク切れして「増田君、あなたねぇ~!そういう他人の悪口ばかり言うの、やめた方がいいよ!」といって逃げて行った。
その後30年間音信不通だったが今年、フェイスブックで札幌市内に同い年で同姓同名の人物を見かけた。あまりにも風貌が変わっていたので同姓同名の別人かもしれないけど珍しい名前だから同一人物の可能性が高い。相変わらずカメラ自慢していたし(彼のカメラ↓)。

「俺がこうなったのは母親のせいだ!認知症になって俺が介護した!」と50歳過ぎて何とも情けない事ばかり書いていた。自分の努力不足については一切認めないのね。その母親を年老いた後も働かせてスネ齧っていたのは誰だ?まあ、推して知るべしの結果だ。50-80問題って今更騒いでいるがもう30年前から「あの子親が死んだらどうするんだろう?」という事案は顕著化していた。が、誰もが見て見ぬ振りした。彼のSNSに書き込みしている訪問者には知的障害者施設とか引きこもり支援団体(NGO)の名前が目に入ったのでやっぱりそうだったんだろう。自分の生活費すら自分で賄えない人間に自己実現欲求何て叶う訳が無い。逆に今までタダで手に入ると思っていた衣食住を失うと人間はたった500円のために殺人を犯すしパン一つでも窃盗をするようになる。