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書籍・雑誌

2019年4月21日 (日)

新刊2冊

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4月に購入した新刊2冊をご紹介。

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「ロケットが来た」(鈴木翔遥著/文芸社/2017年)

1975年に打ち上げられた日本初の液体燃料ロケットNロケットと技術試験衛星きくの開発秘話と、当時の著者の青春ドラマです。おそらく著者の回顧録だとは思うのですが、フィクションの体裁を取っており登場人物や企業名は宇宙開発事業団とNHK以外は仮名になっています。

Nロケットは米マクドネル・ダグラス社のソア・デルタロケットの技術提供で現在では「肝心な部分はブラックボックスで何も教えてくれなかった」というマイナスの面ばかり語られていますが(詳細↓)

1978年の宇宙本、第2報

実は凄かった日本の宇宙開発

この本を読むと、「いやぁ、これはアメリカから技術導入しなかったら、どうにもならなかったわ!」と思います。確かに作中でも「ターボポンプは触らせてくれない」とありましたが、機密ではない部分、配管やノズルやタンクについてはアメリカの技術者は手取り足取り親切丁寧に教えてくれたし(まあお客様ですから)、その機密ではない部分でさえも当時の日本の技術では手も足も出なかったのは事実。

当時、日本政府は1970年までに技術試験衛星を静止軌道に乗せる事をNASDAに要求していましたが、「カネもヒトも時間も技術も足りない。絶対に無理だと思った!」とNHKコズミックフロントで答えています。その一方、気象衛星を欲しがる気象庁や放送衛星を欲しがるNHKや通信衛星を欲しがるKDDや電電公社(現NTT)などユーザーからは「一刻も早く衛星を打ち上げてくれ!」と矢の催促(実際に技術試験衛星きく2号を静止軌道に乗せたのは7年遅れの1977年)。これ以上ユーザーを待たせたら日本の宇宙開発そのものが打ち切りになり、イギリスのように人工衛星を打ち上げておきながらも、放棄し衛星打ち上げを外注する国になってしまう(参考資料↓イギリス最初で最後の人工衛星「プロスペロ」打ち上げロケット、ブラックアロー。1971年10月28日打ち上げ)。

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(引用文献:1978年の宇宙本、第2報

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(引用文献:実は凄かった日本の宇宙開発 ) え?何で炎が無いの?UFO?と小学1年生の時この写真見て驚きました。酸化剤に液体酸素じゃなく過酸化水素を用いていたので噴煙が出なかったそうです。

「これが失敗したら日本の航空宇宙産業は終わりだ。」という崖っぷち感は現在の国産ジェット旅客機MRーJの立場に似ていますね。作中でもYS-11の設計者がNロケット開発に参加してるのはそれを匂わせているのかな?。

ブラックボックスには厳しかったアメリカ側ですが、技術導入にはとても熱心で、休日にアメリカの技術者の家に招かれて交流するエピソードとかは心温まる場面です。国と国との思惑とは別に、ロケットを愛する技術者たちの友情と情熱には国境は無いと思いました。

糸川先生率いる東大宇宙研(ISAS)はアメリカからの技術導入には反対で、「ISASも液体燃料ロケットの基礎実験はしている。うちの研究データを渡すからアメリカからの技術導入はやめてくれと」いう立場だった(それで糸川先生はアメリカから睨まれ辞任に追い込まれた)んですが、NASDAも嬉々としてアメリカの技術導入を受けた訳ではなく苦汁の選択だったのがわかります。

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NHKプロジェクトXより。五代富文氏もNHKのインタビューで「技術導入は好かない訳ですよ。」と本意では無かったことを認めています。

アメリカは当時でもすでに自動車を始め日本との膨大な貿易赤字に頭を抱えていましたし、日本人の国民世論でも弾道ミサイル開発の意思は無いとはわかっていても(現在の某国の将軍様とは違って)、お人よしのISASがユーゴスラビアに輸出したカッパロケットの生産設備は、すっかりミサイル製造に転用され東側に流れてしまい、「これ以上日本にロケットの独自開発をさせたら危険だ。アメリカの監視下に置かなければ」という危機意識もあったんです。

このNロケットの経験が有ってこその現在のH-2AロケットとH-2Bロケットの成功があるんです。むしろ技術導入のおかげで近道になったとアメリカには感謝する必要もあると考えます。イギリスみたいに完膚なまでにロケットの独自開発を中止に追い込みはされなかった訳ですし。

 

そして、もう一冊。冬コミデビュー目指して光学本を買いあさっています。

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しっかり学べる光学設計の基礎知識(牛山善太著/日刊工業出版社/2017年)

ズームレンズの設計法はほとんど書かれていないので、直接引用できる資料ではない(そもそも数式中心の本なので私には歯が立たないw)ですが、収差やパワー配分とか、ズームレンズを語るに欠かせない基礎理論を調べるため購入しました。

この本読んで安心したのがこれ

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以前、私のサイトに対して「増田さんは凸凹張り合わせの色消しレンズのことをダブレットと呼んでいますが、それはダブルメニスカスであってダブレットとは絞りを挟んで前後に同じ形状の凸レンズを対称型に配する構成の事を言うんじゃないですか?」という突っ込みの書き込みがあったので?「え?そうなんですか?中川治平先生の著書(参照:« 資料本購入 )では色消しレンズの事を中川先生はダブレットと呼称していますよ?」と返答して沙汰止みになった経験があったんですが、この本でも色消しレンズのことをダブレットとちゃんと呼称している。良かった~!やっぱり正しいじゃん!自分!(調子に乗るな)!

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反論するときはエビデンス(根拠)を明記せよ!学生時代からの教訓です。この本買って良かった~

2019年3月31日 (日)

資料本購入

冬コミデビューを目指して現在資料本を読み漁っています(詳細;ヲタクの聖地 )。
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左の「図解雑学レンズのしくみ」が面白かったので中川治平先生の本を2冊買いました。中川先生は1970年代前半、オリンパスOMシリーズ初期のズイコーレンズを一手に設計されていた方です。ズイコー200ミリF5とか何か中途半端なF値のレンズが妙に多いのはきっと中川先生の設計哲学だと思ふ(w)。オリンパス退職後はフリーのレンズ設計者として活躍しました。本人は自分では言っていませんがシグマ21-35ミリF3.5-4(画像左上)は中川先生の独立後の作品らしいです。

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確かに中川先生の著書には必ずこのレンズ紹介されている(w)。CAPAの馬場信幸氏も経済学者のリチャード・クーさんもこのレンズ絶賛されてます。私の亡き父もミノルタMDマウントとコンタックスAEマウントでこのレンズ2本も持っていた。どんだけ好きだったんでしょうね~。

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「図解雑学」で中川先生、「2群ズームのFD35-70ミリ発売以前のキヤノンでは4群ズームで何度も広角化に挑んでは失敗していたらしい」と書いていましたが、それが事実だったと証明する設計例も載ってました。キヤノンニューFD35-105ミリF3.5。ニコンやミノルタでも達成できなかった(参照:やばいよ~絶対この人ウチのサイト読んでるよ~ 4群ズームで広角35ミリをキヤノンはやってのけた!これはすごい!!ただ、本の中でもかなり設計に無理があったのは認めていて「歪曲やフィルター径が大きくなるなどの問題点が克服しきれていない。設計する側には妥協が必要である」と書いていますね。

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ズームレンズの歴史は、やっぱりそうそう新しい情報は無いか。上はバリオグラオカーとベルハウエル・クックバーローレンズで下はトランスフォカトール。ズームレンズの文献読んだら必ず出てくるレンズです。まあ、それだけ15年前にわたしが書いたWebサイトの内容が正しかったという事なんですけど。

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おなじみの4群ズームの概念的説明。わたしのサイトを読んだ方なら先刻承知ですよね。

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ズームじゃないけど面白かったので載せます。スタンリー・キューブリック監督が映画「バリーリンドン」で使ったプラナー50ミリF0.7は有名(知らない人はググって調べてくれ)ですが、ツァイスはそれにも満足せずF0.65っちゅ~のも設計しているんですね!!アッベの正弦条件によると写真レンズの明るさの限界はF0.5。アッベの正弦条件に肉薄してます!いったい何に使ったんでしょうね?このレンズ。レンズ後玉の直後にフィルムがあるから絶対一眼レフには使えません(汗)。

さぁ~て!良い資料本も手に入ったし!冬コミデビュー目指して執筆するぞ~!

2018年9月24日 (月)

宇宙への挑戦

台風と震災というダブルパンチに見舞われた中で、久しぶりに明るいニュース。最近宇宙開発方面の朗報が続いています。

朝日新聞2018923日朝刊より。

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JAXA/ISASの小惑星探査機はやぶさ2が無事に着陸機ミネルバ2-1の着地に成功!

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続いて本日は台風で延期していた種子島のH2Bロケットの打ち上げ成功! 

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ここんとこロケットの打ち上げラッシュですね。軍事と経済にしか興味が無いと思っていた米国トランプ大統領も「また月へ行くぞ!」と言っているし。こういう所に国民の税金を使ってくださるのは大いに大歓迎です。宇宙を制する国は世界を制する。

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私が今から楽しみにしているのが来月ギニア・クールー宇宙基地から打ち上げ予定の水星探査機ベピコロンボ。これは1986年のハレー艦隊(https://www.youtube.com/watch?v=3YYLZNqOEPI参照)以来久々の日本のISAS(宇宙研)とESA(欧州宇宙機構)の協業ミッションです(ESANASAの協業ミッションとしては土星のカッシーニ・ホイヘンスミッションがある)。何でもESAの方からJAXAを誘ったそうですね。ロケットの打ち上げ能力に余裕があるので2機の衛星を相乗りさせましょうと(追記:すみません。すでに今回のはやぶさ2ミッションでもESAの着陸機を相乗りしていました)。

ESAが担当するMPO(マーキュリープラネタリーオービター)が水星の至近距離にまで近づいて地表を撮影し、ISASが担当するMMO(みお)は遠軌道を回り、水星の磁場を測定する。惑星磁力線の探査は1957年の国際地球観測年からの日本のお家芸ですからね。

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もう一つは内の浦から打ち上げられるイプシロンロケット4号機。全段固体燃料ロケットですから糸川先生のペンシルロケット(1978年の宇宙本、第2報参照)の直系の子孫です。全段固体燃料ロケットはISASのお家芸。なにやら正体不明ですが「革新的実証衛星」というのを打ち上げるらしい。「はやぶさ」にしろ「みお」にしろこのイプシロンにしろ、糸川先生が切り開いた日本の宇宙探査の伝統は21世紀にまで脈々と受け継がれていると考えると、日本人として誇らしいです。

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ちなみにこれは実家に残った父の遺品の百科事典。ネット時代の今日では粗大ゴミですが、まだネットのネの字も無かった時代は、学校や図書館が開いていない深夜でも調べ物ができるのはとても心強かったしとても役に立ったので十分モトは取ったと思っています。これの「宇宙開発」のページ。左から順に、月面初着陸したソ連のルナ6号、世界初の人工衛星スプートニク1号。ガガーリンが初飛行したボストーク1号。アポロ・ソユーズ共同計画。アメリカ人初の宇宙遊泳をしたエド・ホワイト飛行士(アポロ1号の事故で亡くなっています)。と、まあ小学生の頃「宇宙博」のパンフで見て大体知っているような写真が載っています。右側はESAISASの人工衛星の画像。奥付が19761010日なので日本の宇宙開発は、1955年の東大生産技術研究所の糸川先生のペンシルロケットから始まり1976年のNASDAの「うめ1号」打ち上げで終わっています。今となっては42年前なので情報としては古いですが、前年に発足したばかりのESA誕生の経緯は当時の最新情報なのでウィキペディアで調べるより当時の事情がナマナマしく伝わっています。英国がソ連、米国、仏国、日本、中国に続き世界6番目の衛星打ち上げ国になったのに1回だけで衛星打ち上げを辞めてしまった事情とか

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で、この項目読んで今更気づいたのが、この文章の執筆者も的川泰宣先生だった事!1976年当時の的川先生は34歳。42年前からすでに日本の宇宙開発史の語り部をされていたんですね!!

2018年7月15日 (日)

万国博タイムカプセル

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おやくそく通り、EXPO'70ネタを小出しに出していきます。今回は松下館と毎日新聞社が共同で開催した「タイムカプセル」。

これ、西暦2000年に調査のため一度掘り起こしています。当時ちょっとしたニュースになりました。詳細は米谷美久氏の名著「オリンパスペンの挑戦」(朝日ソノラマ)でも記載されています。

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収蔵品のうち、カメラ関係はミノルタMCロッコール58ミリF1.2とオリンパスペンFTが収蔵されています。収蔵品リストはココ↓。

https://panasonic.co.jp/history/timecapsule/storage/nature/N_4.html

当時、SF作家の星新一氏が「つまらないものばかり入れて....」と苦言を呈していましたが、私は十分面白いと思いましたしね。現代版ロゼッタストーンなんて良いアイデアだと思います。5千年後には日本語も死後になっているかもしれないんだし(w)。

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ちなみにこれが当時の松下の広告写真。「現代の技術力で5000年の歳月にいどむ」すごいキャッチフレーズです。ちなみに松下電器さんの自慢の収蔵品は当時最新鋭の1.5インチカラーテレビ。1.5インチ....この極小画面でテレビ見たがるユーザーってどれほどいたんでしょうか?船の上とか、登山用に造られたのかな?

今、大阪は2025年に再び万国博を誘致すべく活動中でパナソニックミュージアムではEXPO’70でサンヨー館で展示された「人間洗濯機」(クレヨンしんちゃん「オトナ帝国の逆襲」の冒頭で登場していましたね。)が展示中だとか。三洋電機倒産後、パナソニックが引き取ってくれたんですね。感謝!

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180713-00010006-asahibcv-bus_all

おぉ~!映像開いたらちゃんとオリンパスペンFTも展示されてましたよ~!

大阪城前の万国博タイムカプセルのモニュメントは高校の修学旅行の時に見ました。東大寺の大阪万博古川電工パビリオン「七重の塔」の相輪も。できれば塔全部東大寺に移転して欲しかったですねぇ(予算不足だったらしい)。ちょうどタイムリーなネタだったので公開します。

2018年7月 7日 (土)

心のふるさとEXPO'70

実家の父の遺品の整理で3冊も出てきた大阪万博本。この時期に働き盛りだった世代が今のお年寄りですのでうちの職場に寄贈したら大ウケです。

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今は亡き「北海タイムス」刊ですよ!

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ちなみに裏表紙の広告はペンタックスSP/SL。何気に、今や中古で垂涎の珍品タクマー24ミリF3.5が着いています。1970年当時としてはレトロフォーカス構成の一眼レフ用広角レンズとしては未曾有の「超広角レンズ」でした。当時、これより広角は魚眼のタクマー17ミリしかなかったと思う。

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ついでに表紙写真は当時の新製品ペンタックス67とタクマー55ミリで撮影とあります。

そうこうしていると、本日ファミマで同じようなコンセプトのマンガが並んでいたので感動して購入!万博本は近々ご紹介するとして、今回は右側のコンビニ本を紹介します。

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1978年の宇宙本、第2報で紹介した日本初の人工衛星おおすみの打ち上げエピソード。JAXAの小惑星探査機はやぶさ2号が小惑星リュウグウに到着したニュースもあり、最近日本の宇宙開発史にハマっています。

ここの動画でも紹介されていますが↓

https://www.youtube.com/watch?v=97rASB8rNgY

東大宇宙研(ISAS)の糸川先生が鹿児島県内之浦にロケット基地を造るのを決めたとき、ろくに道路も電気も通ってない寒村にそんな大それたモノを作れるわけないと町長が固辞したのを、地元の婦人会がもろ手を挙げて誘致に協力し、建設会社が断った道路建設に地元住民が協力したとあります。なぜそこまで地元住民、特に女性たちが宇宙ロケットにハマったかというと、このマンガで説明されておりますね。

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そう、宇宙基地が来ると、今まで電気が通っていなかった寒村の内之浦に、電気や舗装道路が通るようになる。基地の職員を相手に民宿や商店もできる。アニメ「超時空要塞マクロス」でマクロス墜落後の南アタリア島にあっというまに町ができたのに似てますね。いつの時代も女性は逞しい!

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4回連続で打ち上げ失敗。当時マスコミでそうとう叩かれていたようです。当時のアサヒカメラでも特集組んでいました。アサヒカメラさんは理解の目で書いていましたが。

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↑この技術者さんは的川泰宣博士じゃないだろうか(↓参照)?

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%84%E5%B7%9D%E6%B3%B0%E5%AE%A3

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打ち上げ成功を祈願して婦人会が千羽鶴を送ったエピソードは上述の動画でも紹介されていますね。今や世界に冠たる宇宙開発大国日本の第1歩は1970年から始まった。

ISASの科学者・技術者と内之浦の住民との交流はこちらに詳しい(↓参照)。

http://www.isas.jaxa.jp/j/japan_s_history/chapter02/index.shtml

現在、施設の老朽化もあり、打ち上げ基地を旧宇宙開発事業団(NASDA)の種子島に一本化しようという案が出たとき、内之浦では住民が「残してくれ!」と懇願したそうです。今や内之浦は鹿児島県民の誇りなんですね(↓参照)。

http://space-kimotsuki.jp/articles/love01/

これだけ地元民に愛されている宇宙基地というのも、そうそう無いと思います。

ちなみに、糸川博士のカッパーロケットはあくまでも観測用ロケットとしてインドネシアとユーゴスラビアに輸出されましたが、案の定ミサイルに転用されアメリカの激怒を買い、糸川先生は東大を辞職するハメになります。なんてことしてくれたんだ、インドネシアとユーゴ!(↓詳細)。

https://tech.nikkeibp.co.jp/it/atcl/column/16/051100109/051800004/

ただ、2018年現在インドネシアが初の人工衛星打ち上げ用に開発しているRPSー420は個体燃料ロケット+重力ターン方式の姿勢制御と50年前に糸川先生率いるISASが打ち上げたラムダロケットの技術そのものなのは嬉しかったりする。

2018年6月 7日 (木)

新聞マンガ

父の死去後、実家の遺品の古書のうち、お年寄りにウケそうな書物は職場に寄贈しているんですが、超大ウケなのがこれ。だって、皆さんが働き盛りの頃の話題満載ですから(こういうのはリハビリ用語で「回想法」と言います)。

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1億人の昭和史。こういうの昭和時代末期にずいぶん流行りました。奥付では1981年刊です。懐かしいマンガキャラたくさん出てきます。

平成30年ともなると昭和は30年以上昔の事なんで、私の甥や姪にとっては昭和の時代は私の世代の戦時中に匹敵するくらい「別世界」になりますよね。今となっては「世界史の1ページに収まっている事件や出来事」が当時の新聞記事ではどう報道されたのかを知る貴重な資料になります。

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昭和ひとケタ世代で「おしゃれで羽振りの良い」良家の子女はモボ(モダンボーイ)、モガ(モダンガール)と呼ばれていました。昭和ひとケタで自家用車ってどれほどの富豪だったんでしょ?

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中学生の頃夢中で読んだ永遠のヒーロー。「太平洋ひとりぼっち」の堀江謙一氏(80歳)。当時は密出国だと叩かれた言われますが評価するマスコミはちゃんと評価していた!(1962年)。ちなみに「太平洋一人ぼっち」の中で「あんな小さなヨットで太平洋を横断できる訳がない!絶対途中で大きな船に乗り換えていたんだ。」と因縁つけてきた人物がいたと書かれていましたが、後年にそれを言った人物が石原慎太郎氏だと知って幻滅しました。若い頃からそういう事言う人だったんですね。

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旧ソ連のスプートニク2号でライカ犬が軌道を回った!(1957年)

ところがオチがあって、犬を乗せていたカプセルは大気圏再突入する能力が無く、記事のとおり犬は飛行中に死亡したと。ひどい話だ。当時アメリカの動物愛護団体が「動物虐待だ!」と猛烈に非難しました。それを踏まえてアメリカのNASAではマーキュリー計画で最初に乗せた動物(チンパンジー)を立派に大気圏再突入に成功させ生還させました。そのエピソードは映画「ライトスタッフ」に詳しい。私も子供心に心を痛めた事件でした。

詳しくはここ参照。ソ連のライカ犬は↓

http://karapaia.com/archives/52232427.html

で無事に生還したNASAのお猿さんたちは↓

http://karapaia.com/archives/51432394.html

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「黒いジェット機」U2事件(1960年)。このパイロット、生捕りにされてしまったんでアメリカもシラを切ることができなくなり、マッハ3級の怪物ロッキードSR-71開発のきっかけになりました。YouToo(お前もな!どっちもどっちだ!)という皮肉が効いてますな。

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ケネディ大統領暗殺(1963年)。まさか、日米最初の衛星放送実験最初のニュースがこれだとは...NHKプロジェクトXでも書いていますね。ちなみに私の母はOL時代、慰安旅行の定山渓のホテルでこの実況中継を見たそうです。

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このあたりになると私が生まれた頃なので、実感がわいてくる。「上野動物園にパンダのカンカン・ランラン来日」「グアム島の横井伍長、フィリピンの小野田少尉が帰還」(1972年)まだ戦後は終わって無かった。

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田中角栄首相の「列島改造論」(1973年)とやらで日本中公害だらけ!当時散々非難されましたが、はたしてそうか?45年前に田中角栄氏がブチ上げた「青函トンネル」「東北・上越・九州新幹線」「明石大橋」は21世紀の現在立派に日本列島の大動脈となりました。大気汚染や水質汚濁は、当時の汚染処理技術が未熟なだけで改造論のせいでは無いと思います。今やどんなド田舎にも水洗トイレが完備して、40年前はドブ川だった多摩川に今や鮎が遡上するほど水質は改善しています。九州や東北に新幹線を通すと田中氏がブチ挙げたとき、政敵だった福田首相は「狸でも乗せる気か?採算取れる訳がないだろう!」と非難しました。45年後の現在に見直してみたら福田さんは目の前の国鉄の赤字しか見てなかったけど田中さんは40年後の未来を見通していた!

どちらが優秀な首相だったかとここで論じる気は無いし私は立花隆ではないのでそんな分別は無いが(一度は田中さんがブチ壊しそうになった現在の日本とアセアン諸国の蜜月関係を構築したのは福田さんだ)政治家の偉業は数日や1~2年で分かるものじゃなく、30年40年たって初めて「あの人の言っていたことはこういう事だったのか!」とわかる事も多いのだということが過去の新聞報道を見てわかるものなんだなぁと思います。

あたしぁ、「ボンボン育ちの世襲政治家に、俺たち貧乏人の苦しさがわかってたまるか!」なんて一度たりとも思った事はないですけどね。

2018年4月22日 (日)

カメラこだわり読本

これも実家の遺品整理で出てきた本。毎日グラフ別冊「カメラこだわり読本」私が大学生の頃の本ですね。

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実は凄かった日本の宇宙開発でも紹介したけどやたらと毎日グラフの別冊が出てくるのは父の職場が毎日新聞の販売所だったからです。

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私的には「ついこの間のカメラ」だと思っていたニコン35Tiって私の新卒の年の発売だったのか!(1994年)。もう四半世紀昔の電気カメラなんていつ「御不動様」になってもおかしくありません。断腸の思いながら、値が付くうちに手放せて良かったです(詳細さよならコンタックス )。後日聞いた話では、手放した父の遺品ですが道外からも購入の打診があったそうです。きっとウチのブログの愛読者様だな(w)。高値で買い取ってくださり感謝してます。ちなみに売り上げは全額母に手渡したので私はビタ一文儲かってはいません。

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お~!スピグラ(スピードグラフィック)。戦中~戦後のアメリカで報道カメラと言えばコレでした。東京初空襲(1942年)の後の記者会見でルーズベルト大統領を取り囲むプレスがみんなこれ担いでいる写真見たことがある。こんな重たいカメラで取材していた先人の苦労には頭が下がりますね。ちなみに私の父、「キヤノン7」の項(参照:http://masupi.com/phase6.htm)で書いていますが独身時代、本気で報道カメラマン目指して北海タイムスの写真部に在籍していました。時期的に1960年ごろか。実際にスピグラも触ったと証言してましたね。ただ、辛抱の無い父の事だったんで「いつまでも下働きで脚立持ちとかフラッシュバルブの交換(この当時はストロボじゃなくて1発ごとに使い捨ての閃光電球でした)しかやらせてくれないし、しかも給料安くて「やってられねぇ」って営業に移らせて貰ったんだ!」とか言っていた。私がプロ写真家になりたいような素振りを見せたらロコツに嫌な顔して邪魔したのは自分自身の経験があったからですね。まあ、父の言っていることは私も理解していたのでそれを責める気は無いですが。

どうでも良いトリビアですが、「スターウォーズ(エピソード4)」のライトセーバーの握りの部分はこのスピグラのフラッシュ基部が使われています。

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「あの時代」を感じさせる特集記事。コダックのディスクカメラです。ディスクって言ってもCD-ROMじゃないですよ。(蛇足ですが、かつてSonyがCDーROM1枚を丸ごと記憶媒体とするデジカメを発売した事がある。1回撮影する毎にCD-ROMが「うぃ~ん!」って回転するの。あれ、豪快で面白かった。)このように円盤状に配列したフィルムに画像を感光させるんです。

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これ、一目見ただけで「ダメだな」と思うでしょ?当時小学5年生だった私のガキの知能でも「こんなもん売れるわけが無い!」と一目で見破りましたもん(w)。まず、撮影画面がミノックスよりも小さいというだけでも論外なのに、ミノックスは一眼レフ並みに精密なフォーカスとB、1/2秒から1/1000秒という超ワイドレンジのシャッターでフィルムのラチチュード(許容範囲)に甘えず正確な露出設定が出来たからあの画面サイズでも「何とか」使い物になる画質になったんです。画面サイズが小さくなるほど、引き伸ばし倍率が大きくなるから、ラチチュードに甘えた雑な露出設定ではアラが増幅される(だからフジペットとかコダックブローニーホークアイなど、過去の露出固定のボックスカメラは中判が多かった)。

それなのに、コダックディスクは固定焦点で単速シャッター。つまりあの小さなフラッシュが届かない距離では即撮影不能。せめてプログラム露出くらいにはして欲しかった。最悪なのは電池が自分で交換できない事。つまりカメラに電池がハメ殺しになっており、電池が切れたらおしまい。「超時空世紀オーガス」のモームか!(またマニアじゃないとわからない突込みを・・・参照:https://dic.pixiv.net/a/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%A0)アニメで見たかったらここ参照:https://www.youtube.com/watch?v=Z4dvgKsEu8s涙無しには見られません)。一応電池切れしたらメーカーに持ち込んだら交換してくれるという仕様でしたが、こんな安カメラ、電池交換しにカメラ屋さんに持っているお客いると思いますか?要するに「高価な使い捨てカメラ」だった訳です。アメリカ人のこういう発想が、小学生の私には良くわからなかった。ポラロイドなんか電池をフィルムケースに内蔵するという資源の浪費っぷりです。10枚撮影したらバッテリーごと不燃ごみ!日本(富士フィルムしかないが)だったら絶対こんな設計しないですよね。

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こんなくだらないシステムのために、現像所は新しい現像設備を高い費用で買わなければいけなかった訳です。富士もコニカもひどい殿様経営に付き合わされたもんだ!!

結局私の記憶では1998年にフィルムの生産が終了してこの馬鹿馬鹿しいシステムは命脈を絶ちます。買わなくて良かったよ本当に(w)。

ただ、散々酷評したけど、デザイン面だけは小学5年生の私は高く評価してました。未来のコンパクトカメラはみんなこういう風なカードみたいなサイズになると確信していました。カメラのキタムラさんでも同じコメントされていますね(参照↓)。http://www.kitamura.jp/photo/express/2007/ex456.html

無塗装でアルミの地肌むき出しのデザインもクールで美しい。「ただミノックス並みの極小画面なのにシャッター速度とピントが固定である事と電池交換すら出来ないというユーザーをバカにした仕様が悪いんだ。」と、オートフォーカスとまではいかなくてもせめてゾーンフォーカスにしてシャッターも1/30~1/500秒程度のプログラムシャッターにしていれば(大きさ的に難しかったか?)もう少しマトモな画質になったと思うのですが(ちなみにコニカでは近距離では自動的にクローズアップレンズが挿入される2点オートフォーカスのディスクカメラ「コニカメモローゼ」が一応試作はされている)。

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ただ、今や完全に忘れ去られている事実ですが、たった一つ(注釈:広角レンズをテレフォト化してカメラを薄型化した業績:http://masupi.com/phase15.htm参照はコダックディスクカメラの3年前にオリンパスXAがすでにやっている)、ディスクカメラから21世紀にまで受け継がれた大発明があります。それがこれ!「自撮り棒」!!

これ、ミノルタが自社のディスクカメラ「クレージュ」用に用意したアクセサリーだったんですよ!!ミノルタ亡き後、この時撮り棒だけは世界中の写真ファンに愛されています。ミノルタさん、特許更新しておけば今でも写真産業に踏みとどまれたかもしれない。

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関係ないけど、帰り道で月と金星がきれいだったので愛用のカシオEXILIMで「手持ち」でパチリ。ディスクカメラから35年後の現在、ディスクカメラよりも小さなデジカメで、手持ちでも星が写せてしまいます。

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まったり放鳥を楽しむモモちゃん。フィルムカメラの時代だったら一眼レフが必要なこんな写真も、デジカメだったらコンパクト機でも十分です。

2018年4月12日 (木)

実は凄かった日本の宇宙開発

世界宇宙飛行の日なので何が何でも今夜じゅうに書き留めなければいけない事。急いで書きます。

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私の宇宙SF元年。1978年でも紹介した1978年の毎日グラフ別冊「宇宙と語ろう」。

1978年の宇宙本、第2報で私が小学1年生の頃に感じた屈辱「自分の国の衛星すら自国で打ち上げられないなんて」ですが、今改めてこのグラフ誌を読み返してみたら、まったく同じこと書いていました(w)。

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(1978年当時の)「日本のロケットはパワー不足」とはっきり断じてます。

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当時の日本のロケット、ミュー3S(固体燃料)とN1(液体燃料)では重量300kgの衛星を静止軌道に乗せるだけの推力が無いのでアメリカに打ち上げてもらった。その打ち上げ費用は1回当たり50億円。

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1978年当時開発中の次世代ロケットN2ならば300kgの静止気象衛星を打ち上げられる。1981年打ち上げ予定の次期気象衛星2号(ひまわり2号)は国産ロケットで打ち上げる予定。とはっきり書いています。更に昭和60年(1985年)以降の主力ロケットH1についての説明もあります。言うまでも無くN2ロケットは静止軌道への目標打ち上げ能力350kgの目標を達成し、期日通り1981年にひまわり2号の打ち上げ成功しています(すぐ故障しちゃったけど)。H1ロケットは目標の2年遅れで1986年に打ち上げ成功しました。

また、この当時は固体燃料ロケットは東大宇宙研(ISAS)、液体燃料ロケットは宇宙開発事業団(NASDA)主体で設計されていましたが、液体燃料ロケットの技術を提供した当のアメリカは姿勢制御のためのジャイロコンパスやエンジンのコア技術であるターボポンプについては一切見せてくれなかった(詳細:https://www.youtube.com/watch?v=5Nv3sx1BdtA)。ブラックボックスだらけの米国デルタロケットの技術提供ではNASDAだけでは純国産化は難しいとの判断からISASとNAL(航空宇宙研究所)もNASDAのN2ロケット開発に参画するという内容が書かれています。後にISASとNASDAとNALが合併して現在のJAXAが生まれる伏線がすでに40年前に見られています。これ見ても、決して東大宇宙研(ISAS)とNASDAは敵対関係ではなく、同じ目標のために協力し合う関係だったことがわかります(ここでも同じ事書いています↓)。」

http://www.sf-fantasy.com/magazine/serials/develop/05.html

40年も前に、具体的で、実現可能な未来の展望を描いていた東大宇宙研&NASDAには驚くべきです。米NASAのような「月に住む!」「火星に行く!」「スペースコロニーだ!」と大風呂敷広げては放棄を繰り返しているのに比べ、日本は「人間を宇宙に送る」なんて途方も無い夢は言わない一方、絶対実現できるという自信がある計画は見事に実現してきました。実際、日本でもスペースシャトル作ろうという話が1982年頃にあって(当時の「学研の科学」でも特集組まれていたので私も読んでいます)、マスコミが大騒ぎした時、NASDAでは「できもしないことを書くな!」と問題になったようです(詳細↓)。

http://www.sf-fantasy.com/magazine/serials/develop/10.html

まあ、現実的過ぎて夢が無いという向きもありますが、叶いもしない白昼夢よりは実現可能で、予算的にも元が取れる現実の夢を選ぶあたりはやっぱり現実主義者の日本人らしい(w)。的川先生も同じこと書いています(参照↓)http://www.isas.jaxa.jp/j/japan_s_history/chapter10/05/02.shtml

まあ私も「夢見る少年」から「男のロマン」よりも「日々の飯を食うための現実」を求める「つまらない中年のおっさん」に成長した訳です(w)。

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ひまわり1号(1977年)打ち上げの映像(右)と国産初の静止衛星(技術試験衛星)きく2号(左)。

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21世紀の現在、アメリカ、ロシアにはかなわないまでも、日本1国でESA(ヨーロッパ宇宙機関)とガチで勝負できるほどのロケット、H2Aとイプシロンを開発するまでに成長したJAXA。
それまでには過去60年間の先人の血と汗と涙があった訳です。ロケット大国日本の現在は運が良かった訳では無く、努力の結果の上の必然だったんですね。

本日は世界宇宙飛行の日

1961年の本日、旧ソ連のユーリ・ガガーリン少佐が人類史上初の地球周回軌道飛行をした日です。まだ私は生まれてませんが、人類史上から見れば「ついこの前の出来事」ですよね。

という訳で、1978年のSFブーム本第三弾です。

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学研のジュニアチャンピオンコースシリーズ「スーパー宇宙探検」。奥付では1979年2月ですので厳密には1978年本じゃないですが、実質1978年のSFブームに便乗した本です。ただ、もう半年待てば「銀河鉄道999」や「機動戦士ガンダム」や「キャプテンフューチャー」が出てくるのでもう少し出版を待って欲しかったような気がする(w)。

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主役はもちろんスターウォーズ(エピソード4)ですが、宇宙空間なのにこんな至近距離での空中戦なんてありえんやろ(汗)。写真的には見事だとは思うけど。

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私の宇宙SF元年。1978年でも書いた「さらば宇宙戦艦ヤマト」。あまりにも悲劇的すぎるエンディングからファンからの非難が殺到し、TV版では「無かった事」にされてしまいました。私もTV版の方がストーリー的に無理がないと思う(w)。

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今や宇宙SF映画の金字塔で文部省が唯一児童向けSF映画として承認した(w)「2001年宇宙の旅」。何で、10年も前の映画を今紹介するのかと言うと、映画配給会社のトラブルで、封切り後、2番館に降りること無く再上映が10年間無かったからだそうです。10年ぶりの上映に当時のSFファンが歓喜したとか。当然1978年当時、レンタルビデオなんて物は存在しません(w)。

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これは今も定番ですね「スタートレック」。当時、スペースシャトル試作機の名前を米国独立200周年にちなんで「コンスティテューション号(だったけかな?)」と命名しようとしたのをトレッキーファンが「スタートレックのエンタープライズ(冒険)号にして欲しい!」と熱烈な要請があって、命名式にはスタートレックの脚本家のジーン・ロッテンベリー氏が招かれる程の白熱した事態なったと聞いた。当時の私は幼稚園児だったけど、テレビでも幼稚園児向けの雑誌「キンダーブック」でも異常なほど興奮していたのを覚えている。

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これは東映のTVドラマ「銀河大戦・宇宙からのメッセージ」。当時夢中で見てましたが、今やまったくストーリー覚えていない(w)。新谷かおる氏がコミカライズ版描いていましたね。

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「惑星大戦争」(東映)より。宇宙戦艦「轟天(ごうてん)号」。「究極超人あーる」の元ネタですね。なぜかドイツで大ヒットしたらしい・・・・謎だ!

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で、今話題沸騰中の映画やTVドラマで小学生の興味を煽ったあとから、何十年も昔の古典的SF小説に話を引っ張っていくあたりが憎い!。「レンズマン」も「キャプテンフューチャー」もアニメ化されましたが、正直あまりウケませんでしたね(汗)。

「宇宙の戦士」はポール・バーホーベン監督の手で映画化されたのはご存知の通り。映画化名「スターシップ・トゥルーパーズ」。

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ウケなかった理由はもうハッキリしてます。「何でパワードスーツが出てこないんじゃ~~!?」これもガンダムのモビルスーツの元ネタになりました。超時空騎団サザンクロス(参照→ https://www.youtube.com/watch?v=5jueD9E6rIk)が大マジメに等身大のパワードスーツを使って大コケしたのを見るとガンダムが巨大ロボット物を選んだのは大正解だったと思います。

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他にも登場作品を明らかにしていないメカが数々。「セレーネ号」はアーサーCクラークの「渇きの海」の遊覧船ですよね。私が読んだのは25年も後ですが(ダメすぎる!)。「飛行艇」はエドガー・ライズ・バロウズの「火星のプリンセス(映画化名ジョン・カーター)」ですね。これなんか読んだの30年後だ(どうしようもないな、自分!)。

まあ、遅咲き過ぎるのは百も承知ながら、映画やTVドラマ以外にもSFが存在することを教えてくれた大切なバイブルです。今、アマゾンで調べてみたら美本だったら4.500円以上の値段がついていました。まあ私の手元にある本は散々読み散らした結果ボロボロなので売り物にはなりませんが(売る気も無いし)、百科辞典や文学全集が捨て賃を払わないと引き取ってくれない一方、両親はゴミだと見下していた児童本や趣味のHowTo本や専門書が古本屋さんでは高値で引き取ってくれるという事実をどう思うんでしょうか?私は古本屋さんや古道具屋さん巡りは趣味なので、何が売れて何が売れないかは、それなりに理解してます。それなのに、実家の母、「文学全集はものすっごい価値があるんだから高値で売れるはずだ!」とか言うんで、現実を教えてやるのに苦労しましたわ。

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吉川英治全集って当時25万部も売れた超ベストセラーなんだよ?希少価値なんてあるわけ無いじゃん!しかも吉川英治の著作権は2013年に切れていてパブリックドメインになっているから「新平家物語」なんか全巻そろってインターネットで99円で読めるんだよ?(参照↓)。

http://munemori-taiga-project.hatenadiary.jp/entry/2016/02/28/013721
「インターネットでタダで読める小説を、こんなかさばって場所を食う文学全集でどうしても欲しいなんて吉川英治ファンが今の日本に何百人いると思う?確かに、どうしても全集が欲しいという熱狂的なファンも何百人かはいるだろうけど、そういう人の手にはとっくに行き渡っているはずだ。25万部も刷られたんだから!!どうしても紙に印刷された本で吉川英治を読みたいという人でも今だったらポケットに入る文庫本で買うに決まっているでしょ?」と涙と汗水流して説得したらやっと諦めてくれました母(汗)。

「まあ、資源ゴミの日に数冊ずつ捨てるのが一番だけど、そこまでして慌てて捨てることも無いでしょ?売り物にはならなくても亡き父の思い出が詰まった宝物だったんだから、家を取り壊すまで一緒にいたら?」と助言しました。私だって本を愛する人の気持ちは良くわかりますから。

2018年4月 8日 (日)

1978年の宇宙本、第2報

私の宇宙SF元年。1978年に続く宇宙本の第2報です。

「全記録宇宙開発ー限りなき人類の夢と希望/米ソ・世界の宇宙開発」(国際情報社)

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米ソ宇宙開発が内容の根幹にありますが、実際には私の宇宙SF元年。1978年でも書いた「船の科学館」の「宇宙博覧会」のタイアップ本です。この国際情報社はこういう「博覧会本」を良く出版していたようで、驚くほどデザインが似ている1970年の大阪万博本とか1975年の沖縄海洋博本もネットで調べたらゴロゴロ出てきますね。

実際最初に見開きページに宇宙博の会場が出てくる。

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うわぁ~!40年前はまだ空き地だらけだったんですねぇ~有明!現在の過密ぶりが信じられないほどのどかです。

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著者はやっぱり航空評論家でドイツカメラコレクターの佐貫亦男氏。日本人でアポロ計画を語らせたらこの方の右に出る人はいません(参照↓)

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↑これも実家にあった平凡社の「国民百科辞典」

(いやぁ、百科辞典と文学全集は本当にどこの古本屋さんも引き取ってくれませんわ・・・)

佐貫氏は小学生の頃からファンです。陸軍の97式戦闘機のプロペラを設計された方です。

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この本、なぜか通っていた小学校の図書室に2冊も置いてあった。さすが自分が設計に携わっただけに97式戦闘機を一番上に描いています(w)。

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中島97式戦闘機(あゝ零戦/古城武司著/立風書房)

この欧米の格闘戦を極力避ける「一撃離脱戦法」に共鳴を受けた後述の糸川技師は低翼面加重ゆえ急降下に弱い1式戦闘機「隼」の弱点を見抜き、高翼面加重の機体を大口径高出力のエンジンで引っ張る欧米流の2式単座戦闘機「鍾馗」を設計しています。

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開会式の写真。リオのサンバで盛り上がっています。

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アポロ・ソユーズ共同計画やスカイラブ計画で使用されたサターン1Bロケット(左)と日本の当時の最新型ロケットN1(右)。実は私、小学1年生の時に両親に連れられて実際にここに来ています。「こんなでっかいロケットを10年も昔に作った国と戦争して勝てる訳ないじゃん!」と幼少期ながら強烈に日米の国力の差を痛感しました。

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当時の日本は、国産初の液体燃料ロケット(といっても米国製デルタロケットのライセンス生産だが)「N1ロケット」がようやく日本初の静止衛星「きく2号」を打ち上げたところでした。サターン1Bを見た後では、ただただ小さい。得意満面なコンパニオンのお姉さんの笑顔がなんとも...ウィキペディアのN1ロケットの項https://ja.wikipedia.org/wiki/N-I%E3%83%AD%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%88でも写真は載っていないので、貴重な映像資料ですよ!これは。

なおこのロケットは会期終了後、大阪のなんばCITYに寄贈されて2007年までは現存していました(詳細↓)。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AA%E3%82%93%E3%81%B0CITY

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むしろ、日本独自分野として気を吐いたのは固体燃料ロケットの分野です。8年後、日本は固体燃料ロケットで惑星探査機(すいせい、さきがけ)を打ち上げるという前人未到の快挙を成し遂げます。これは1970年に日本初(世界的にもソ連、米国、フランスにつぎ4番目)の人工衛星おおすみを打ち上げたラムダ4S-5ロケット。こちらは会期終了後は上野の国立科学博物館に寄贈され、今も屋外に展示されています。20年後に久々に再会しました。

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今や伝説となった東大宇宙研の糸川博士のペンシルロケット(左ページ)。日本のロケット開発はここから始まった!今となっては私はその偉業を理解していますが(参照↓映像の中にも国立科学博物館前のラムダロケットが登場します)

https://www.youtube.com/watch?v=97rASB8rNgY

、小学1年生の目には、ただただ惨めで情けなかったのを覚えています。「夏休みの工作か?」みたいな(w)。13年前にJAXA主導で行われたペンシルロケット再現実験の映像https://www.youtube.com/watch?v=idiETYNK8co 12歳の春名美咲ちゃんがかわいい・・・じゃなくて、かなり本格的で、幼少期の自分の偏見が恥かしいです。このペンシルロケットに使われた燃料は米国軍のバズーカ砲用に製造されたダブルベース火薬で当時1本5千円したそうです。今の物価では10万円くらいになるのかな。一発発射するだけでも大出費な訳で決して子供の玩具じゃないです(この本の中で佐貫氏は糸川先生がタダで火薬メーカーから貰ってきたみたいなこと書いてますが、本当かな?)。

この当時は自前の気象衛星すら自国で打ち上げられなくて(N1ロケットの推力では足りなかった)気象衛星ひまわり1号はNASAに打ち上げてもらっていました(左ページ上から2番目の写真がひまわり打ち上げの映像)。子供心に「自分の国の衛星すら自国で打ち上げられないなんて」と情けなかったです。当時の宇宙開発事業団NASDA(今のJAXA)も同じ思いだったようで、ひまわり2号以降は国産ロケットで打ち上げています。ちなみに「ひまわり」以前は米国の気象衛星NOAAの映像をお金を払って買っていました。現在では「ひまわり8号」の映像をロシア、モンゴル、ASEAN諸国からオーストラリアまでが利用しています(参照↓)

http://www.jma-net.go.jp/sat/himawari/nmhs.html

。「ひまわり8号」のライブ映像が見たい方はぜひここを参照↓。

https://himawari8.nict.go.jp/

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当時小学1年生だったんですが、けっこう鮮明に展示品覚えているんですよね~。あ~、あったあった!こんな展示。当時の雰囲気がビンビンと記憶に蘇ってきます。

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一番凄かったのがこの「アポロ館」の展示。なんと実物大の月着陸船がワイヤーに吊るされ天井から降りてくるんですよ!中にいた宇宙飛行士役の役者さん、怖かっただろうなぁ。

これも鮮明に覚えていますねぇ。

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この本にもやっぱり出てきたスペースコロニー。翌年のガンダムに繋がっていきます。

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当時、ソ連というと「秘密主義で大事なことを何も教えてくれず、影でいつも悪巧みしている国」「放って置くとなにをやらかすかわからない国」「ものすごく先進技術を持っているけど、それをロクな事に使わないマッドサイエンティストが大勢入る国」っていうイメージでした(ここでも同じこと言ってます↓)。

https://www.youtube.com/watch?v=3YYLZNqOEPI

アポロ・ソユーズ計画以降、その秘密主義も少しは改善したようで、当時の最新映像とかも乗っています。これはソ連の宇宙ステーション「サリュート」小学生時代は科学雑誌に乗っていたサリュートの最新情報にドキドキしたものです。1986年のハレー彗星共同探査は、米ソESA日本の垣根を越えた国際共同探査のブレイクスルーになったと思います。

結構今見ても貴重な映像資料だと思うのでこの本は大切に取っておきます。保存状態も良いので売ったら結構良い値段つくと思いますが。

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